※今回の記事は大変重い内容です。いつものあほな記事の感覚で開かれた方はご注意ください。あと、私は医療に詳しくなく、更にここに書いている内容は多くが母からの又聞きです。人それぞれ症状も状況も違うと思うので悪しからずご了承ください。
私の実父は今、入院中だ。
元は小細胞肺ガンという、進行の早いタイプのガンを、手術ではなく、放射線と化学療法(要するに抗がん剤)で治療するための入院だった。
なぜ手術をしなかったのかというと、本人の体が手術に耐えられないだろう、もし手術をしたらおそらく寝たきりになる、と医者から言われたからだ。
父は20代で胃と十二指腸の手術をし、おそらくその時の輸血が原因で肝炎ウイルスに感染し後にC型肝炎になった(現在は奇跡的に完治している)。40代から糖尿病で、数年前には心臓ペースメーカーを体に埋め込まれた。15年前にも肺ガンの手術を経験しており、その時に片方の肺の3分の1ほどを失っている。
要するに、過去の病気や持病で体がボロボロなのである。
“元は”ガン治療のための入院、と書いた。そう、今入院しているのはガン治療のためではない。入院前日に長い脚立に登り元気に庭木の手入れをして「明日から入院なのに怪我したら大変だからやめて」と母に叱られた父は、2ヶ月後の現在、病院の外では生きていけない寝たきりの体になっている。
入院し、ガン治療を始めたのが7月末だった。確か初日は、午前と午後にそれぞれ放射線治療、その合間に抗がん剤という鬼畜スケジュールだった。
15年前の放射線や抗がん剤治療の時、普段我慢強い父がとても辛そうだった。それを覚えていたから、治療開始前から、そんな急なペースで治療して大丈夫なんだろうか…と心配していたものの、本人が頑張って治療する、と言っているのだから、そうか頑張れ、と応援する他なかった。
医者も馬鹿ではない(はずだ)。1日2回も放射線をやったのは、それくらいしないと進行の早い小細胞肺ガンを抑え込めないからだった。
しかし、その治療は結果的に、本人の体を痛めつけ、副作用の肺炎による呼吸困難、痰が詰まり、一時は自発呼吸が出来なくなり、気管に管を入れ人工呼吸器に繋がれた。管と点滴に生かされ、薬でほぼ眠った状態が、4日続いた。
その後人工呼吸器を外すことが出来、一応話すことが可能になった。が、たった4日と侮るなかれ、その4日間で嚥下機能(水や食べ物を飲み込む力)が著しく低下し、父は食事というものが出来なくなってしまった。
その後、体のリハビリや嚥下機能回復のためのリハビリもやったが、何せ栄養が足りないから痩せるばかり。途中高栄養の点滴(それでも1日1500kcalしかない)に切り替えたものの、入院日数ばかりがかさみ、寝たきりになり、経過は芳しくなく、その上、日を追う事に新しい問題が続々と出てきた。
最新の問題は、父が急性膵炎にかかったことだ。
医療知識に乏しい私は、主に父の入院の世話をしている母から何か報告や相談がある度にいちいち医療用語をネットで調べて対応している。
急性膵炎を調べると、主に飲みすぎ、食べすぎ、高脂肪の食事によって発症するとの事だった。
…父は3週間以上何も飲み食いしていないが…何故😭
後で分かったのは、50年前の胃と十二指腸の手術の吻合部の流れが詰まったせいだったとの事!そんな事もあるんだ…。
今は主にその膵炎の治療を行いながら、他の処置、検査等をしていただいている父だが、数日前から様子がおかしくなってしまった。
辛い入院生活が長引いて、その間にも色々な治療が重なり、精神的に参ってしまったのだろう。せん妄のような状態になってしまった。
自分は普通に動けるのに病院を出して貰えないだの、自分は騙された、看護師に逃げられないように監視されている、だの、夢と現実の狭間にいるような発言を繰り返す父。昨日の仕事が大変だった話等もしていた。(寝たきりだし仕事してるわけないんだけどね)
とにかく退院したい、家に帰りたいと、管を抜いたりして暴れたので、現在母が病院に泊まり込みで対応している。
私としては父のことを一手に引き受けている母が参ってしまわないかが1番心配なところだが、我々には心強い味方がいる。隣県に住む妹だ。
普段は訪問看護の仕事がバカ忙しく、姉の私がLINEしてもまず返事は帰してこない彼女なのだが、父のせん妄の話を聞いた後の行動は早かった。
隣県から父の入院している病院に乗り込み、看護師に言って検査結果の数値を全部出してもらいその目で確認。本人とも面会し詰まった痰の吸引処置までその手でやり(凄すぎ)、現在の処置に納得した上で、担当医に「1日でも早く退院できるようにしてくれ」と直談判したらしい。
私は最初、妹がなぜそんなに早く父を退院させたがっているのかが理解できなかった。「こんな状態の父を退院させたら、母の負担が増えるだけなのでは?病院にいれば何かあった時にすぐ対応してもらえるのに」と思ったのだ。
だがそれから丸1日ほど経った頃、バカな私でもようやく理解した。
父はもう長くないのだろうと。
だから1日でも長く家で過ごしてもらおうとしているのだと。
妹は訪問看護の専門家だ。父と同じような寝たきり患者をたくさん見てきている。その妹が母に言ったそうだ。「父さん、もう食事を取れるようにはならない」と。
父が今世で最後に食べたものは何だったんだろう。間違いなく病院食だが、最後に食べた母の手料理は何だったのかな。
母は「思い出せない」と言っていた。
人間、誰しもがいずれ必ず亡くなる。突然亡くなることもある。
「ああ、あの時の夕飯の〇〇が最後の食事だったな」と、生きているうちに感じる人って、多くないのではないだろうか。
最後の晩餐なんてどうでもいい、と、今死の間際にいる父を持つ私は思っている。
ただ、それまでの人生において幸せな気持ちで囲んだ食卓、それさえあれば。
それを父がまだ、まともに覚えているのか分からない。だがそれでもいい。それは事実あったし、父がもう分からなくても、家族である我々は知っている。
父自身がどう思っているのかは分からないけれども。
病院の医師や担当に決まったケアマネさん、訪問医療を施してくれることになったかかりつけ医の先生、その他たくさんの関係者の方々と我々家族で、膵炎が落ち着き次第、退院できるようにする準備を進めている。
これから大変だろうが、みんなで頑張るしかない。
まずは父が無事うちに帰ってこられるように。
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