穏やかな日〜素人による介護記録⑨〜

家族の闘病

このクソ長い介護記録(?)を、①からここまで読んでくれている方は、はたして居らっしゃるのだろうか。

ここに来て、明らかに筆が鈍っているのが自分でもわかる。

これは父が存命の時の記録だ。ここから時系列順に辿っていくと、父が亡くなる場面が必ずやってくる。

私は多分(いや間違いなく)それが嫌なんだと思う。だから、なかなかこの手記を進めようとしないのだろう。

とはいえ、せっかくここまで書いてきたのだ。途中でやめたくはない。だから遅々として進まなくても、何とか記憶を掘り起こし、筆を進めることにする。

待っている人なんていないとは思うが、もしおられたらどうかご容赦ください。

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父在宅二日目であるその日も、私は自分に出来ることは極力他の人にやらせないように努めた(買い物、料理、片付け、子供たちの世話等)。

母は何もなければ、ほとんど父の傍らにいた。旦那さんが、父から見える位置にテレビを動かしてくれていたから、大谷翔平の試合があれば必ず父と見ていた。

元気なときの父は結構熱烈な大谷ファンで、同じくファンの母と共に欠かさずドジャースの試合を見ていたが、せん妄が出る少し前からだんだんと興味を見せなくなってきていた。かと思えば、「大谷なら毎日治療でこの病院に来てるし、この部屋にも来るから毎日会っている」と言ったり(日本に居ないんだからそんな訳ない)。

今父が何を思うのか、或いはさほど何も思っていないのか、表情の乏しいその顔からは窺い知ることが出来なかった。

妹は父の吸痰にだんだん慣れてきていて、最初は左右どちらの鼻の穴から管を入れるか等、試行錯誤しながら処置していたが、この頃になると何の迷いもなくスーッと管を通していた。やっぱり凄すぎる😅

この日は金曜日だった。転職して数ヶ月の旦那さんは有給がなくてもちろん仕事、長男も仕事、末っ子は高校。

妹の子供たち(中学生&小学生)は県外から来ているため学校にも行けず、ヒマなのでほぼスマホ&Switch漬けである。(可哀想なことに、このデジタル依存の日々は結果的に一週間以上続くことになる)

デジタル依存がやばいので、妹の子供たちと夜はUNOで遊んだ。人数が多い方が楽しいので、母と妹と旦那さんを召喚した。

旦那さんのナイスアシストにより、小学生の甥っ子は何度も勝って大喜び。こういうことができる人が、子供に好かれるんだよね〜(私は「お前はもうちょっと気が使えないのか」と旦那さんに呆れられた。私はUNOに勝ちたい訳じゃない。下手なのだ😅わざと他方の勝ちをアシストできるほどの能力がない。だいたい手持ちによっては絶対攻撃しなければならないパターンもあるのに、ねぇ…ハッ!まさかあいつ、出せるカードがあっても、それが子供たちへの攻撃だったら出さずに山札からカードを引いていたのでは…?!なるほど、今気づいたわ←バカ)

そんな感じで、その日は穏やかに過ぎていった。

父を除く9人で囲む食卓。

少し離れた場所に父は横たわっている。

父がいつもの食卓の自分の席に座って、甥っ子の行儀の悪さを叱ってくれたり(めっちゃ怖い)、我々が部屋の掃除を怠っていることを叱ってくれたり(ごめんなさい)する姿を見ることは、もうないのだな、と、じわじわと覚悟のようなものが固まってくる。

そして、当然だが全くと言っていいほどギターの練習は出来なかった。

⑩へ、続く………っ!!(ごめん長くて、流石にもう佳境です)

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