↑は2年前、釣りに行った時の海の写真である。
近年、全く釣りに行けていない。
夏は暑すぎて外は命の危険を感じたし、空いた時間はほぼギターにつぎ込んでいた。釣りに時間を割いている余裕は全然なかった。
だけど今、この写真を見て、竿持って海行きたいな、なんて思う。
ここ何日か、ショックな出来事が続いて、ダメ押しで昨日は朝から嫌なことがあったので、ノー天気な私には珍しくかなり精神がやられていた。
そんなだから、久しぶりに釣りに行きたいなんて思うのだろう。傷ついている時、人は大自然に癒しを求めるものだ。
しかしこんな極寒の北陸で、私のしょぼいタックルを使ってお魚さんが釣れるとも思えない(何よりくそ寒い)。
だから大自然のかわりに、音楽に癒しを求めてみた。傷ついた心は一体、何を聞きたがるんだろう?
私の直感は、クラシックギタリスト:アンドリュー・ヨーク氏の「Home」を選択した。
大好きでよく聞いているギター曲だ。私の指が、機械的に曲名をタップする。
びっくりした。
最初のアルペジオの5音を聞き終わる前から、もう私の胸の中に、明るい暖かい陽の光が即座に差し込んできたという感覚があった。
なんて暖かい音だろう。なんて優しい音色なんだろう。
ずっと優しく、でも力強く「大丈夫、大丈夫」と確信を持って、言ってもらえているような、音楽。
傷ついて自信を無くし、1日中何をしていても決して晴れることのなかった心が、少しずつ晴れていった。
凄すぎる。これだから音楽はやめられない。
ヨークさんありがとう。もちろんお会いしたことはないが(滅茶苦茶凄いギタリストだ)、あの音を鳴らすからには、お優しい方に違いない。
さて、ヨークさんと同じくらい私が愛してやまないMOROHAの曲、「六文銭」。その中には私の大好きなフレーズが沢山あるのだが、その中のひとつが次のようなものだ。
「音楽に救われたことなんてない、人の思いに救われてばっかりだ」
本当にそうだ。ただ、音楽こそが「人の思い」の結晶であり、だからこそ私はそれに救われているのだと最近思う。
音楽に救われていると思う時、すなわち人の思いに救われているんだな、ということを、忘れないようにしたいな。
私も優しく、力強く、「大丈夫」と伝えられる存在でありたいと、心から思い、願う。
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