翌日、日曜日の、朝。
何と、父は無事だった。
酸素マスクをして心臓ペースメーカーを付けているとはいえ、凄まじい生命力だ。栄養なんて全くと言っていいほど取れていない状態が長く続いているのに、なぜこんなに(しかも穏やかに)生きていられるのだろう?!
さて、ともかく今父は無事で、落ち着いている。しかし、明日はどうだろう。
明日は夕方にギターレッスンが入っているのだ。父の様子を見て、オンラインで受けられたらいいなぁ、等と甘い考えで今日まで様子見していたが、結局父の具合が悪くなったりして受けられなくなるかもしれない。…やむを得ないか。
先生はお忙しい方なのでお手を煩わせたくなくて、普段は欠席の連絡をする時も簡潔にLINEすることを心がけているつもりだ。
が、この時は、教室を欠席することに加え、父が危篤で現在家で介護していること(1度父が急変した時にレッスンを休んだので、先生は事情を知っている)、毎日父の隣で、先生から教えていただいているHomeを弾いていること、もっと上手く弾けたらいいのにと毎日思うこと…を、つらつら書き込んで、長文を送ってしまった。
私は、何と罪深いことを…一人で運営している教室は人気すぎていつも予約枠パンパン、でもプロクラシックギタリストとしてお呼びがかかればコンサートにも出演(腕前が確かなので年間に何度もお呼びがかかる)、作曲、編曲もこなし、なのに普通に家事もやる、という、絶対絶対忙しいであろう大尊敬している先生に、私情もりもりのLINEを送るとは…😭
10分くらいして後悔し始めた頃、先生から返信が届いた。
私に負けない長文のメッセージの前半は、レッスンの振替についてや2週間後に控えた発表会リハーサル、来月の発表会本番についての事務連絡だった。
後半には、父が穏やかに過ごせることを祈っていること、聞いた話ではあるが、話せなくなったり、反応がないor薄い状態でも聴覚は残っていることが多く、話しかけたり音楽を聞かせたりするのは良いことらしい、との言葉が並んでいた。
そのメッセージの最後は、この文章で締めくくられていた。
“きっとお父さんはHomeを聞いているのだと思います”
涙が出た。
無駄じゃないと言ってくれる人がいる。
もちろん私だって、無駄だと思って弾いていた訳ではない。それでも、私の音が父に届いていると、第三者に肯定してもらえたことは本当に嬉しかった。
弾こう、ギターを。父の隣で。
私はまたエレガットのネックを引っ掴み、父の所に戻った。
介護生活で全然練習できていないHomeを、渾身の思いで、私は弾いた。
例によって父の方を見る余裕は無かった。だが弾き終えた直後、何を思ったか誰かが(妹か母のどちらかだ)、父の血中酸素を計る機械を作動させた。
すると。
「血中酸素…100だ…!」
「退院してから、100って、初めて見た…!」
母と妹が驚いている。私も驚いた。
この介護生活で、私にも多少の知識はついた。血中酸素濃度は、健康な人でも、高ストレスに晒されると94とかになったりすることもあるらしい。最高が100%で、これはリラックスした状態を表している。
父は、Homeを聞いて、リラックスしてくれたのだ。
無駄じゃなかった。
喋れない父が、血中酸素で、伝えてくれた。
私の、下手なギターを、喜んでくれていると、伝えてくれたのだ。
最終回は近い。⑬へ続く…!!


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