退院カンファレンスが終わると、集結していた“父退院スペシャルチーム”がそれぞれの役割のために散っていった。
妹は主治医とカンファに出ていた若い看護師と共に介護タクシーに同乗することになっているので病院に留まり(そのため妹は私の小っさい軽に同乗して来た)、母と私はそれぞれの車で家へ向かうため駐車場へ。
まだ出発予定時刻までは間があったが、どうやらそれらしい介護タクシーがもう到着して待機しているのを発見した。
どうか、無事に帰れますように…!タクシーにも願い、帰宅。
しばらくするとケアマネさんと訪看さんも我が家に来た。お二人とも、父が毎日手入れしていた庭をとても褒めてくれた。父が聞いたらさぞ喜ぶだろう。
かかりつけ医と薬局さん、酸素の機械の業者も後で来る予定だ。
ここまで来たら、待ちである。
退院前、オムツ替えのために体勢を変えただけで、血中酸素が思いっきり下がったらしい父。
そんな人を、担架に乗せて、介護タクシーに乗せて、20分の道のりを経て連れてくるのである。
“帰ってくる途中で呼吸が止まったら、そのまま家に連れて帰って、家で死亡診断してもらおう”という、妹の言葉が思い出された。
私も、母も、じりじりと待った。
妹から「父さん、呼吸が止まってしまいました」なんて連絡が、来ないことを願いながら。
しかし、遅い。そして、なんの連絡もない…。
どうやら、ものすごい安全運転でこっちに向かっているらしいということが判明したのは、普通ならもう着いていてもいいような時間に、中間地点である橋を渡ったという連絡が妹からあったからだ。
揺れのストレスが命に関わる父のために超・安全運転してくれているタクシー運ちゃんに私は感謝した。そして、念じるように祈った。
頑張れ父さん。あんなに帰りたがっていた家だよ。もうすぐ帰れるっていうのに、道中で力尽きるような、そんなヤワなタマじゃないでしょ? そんなの全然父さんらしくない。頼むから、家まで頑張ってよ。みんなが待ってるから。
介護タクシーが来たらすぐ分かるように、ずっと玄関の方を見ていた。玄関までの扉は開け放たれており、少しだけ雲はあったが、まるで父の退院を祝福するかのようないい天気で、外は美しかった。
父はあの空を見ただろうか。周囲のことをどのくらい分かっているのだろう?
ものすごく長く感じた待ち時間は、突然終わりを告げた。
さっき見たのと同じ介護タクシーが視界に現れたのだ!!!
「来た!」母が玄関に走った。
介護タクシーから降りて妹も走ってきた。
外には主治医と看護師の姿も見える。私も急いで玄関から外に出た。
介護タクシーの後部が開き、中から担架に乗った状態の父が、ウィーンと降りてきた。
毎日外仕事をする人だったのに、陽の光を浴びている父を久しぶりに見た。
本当に帰ってきたんだ。
私は泣きべそをかきそうになるのを抑えて、仕事や学校に行っているうちの三兄弟に状況を伝えるため、家族LINEに文字と写真を載せた。

「来たー!」
それ以外の言葉はなんにも思いつかなかった。心からの「来たー!」だ。
さて、のんびり喜んでいる暇はない。父をさっさと落ち着かせてあげなければならない。また縁側を案内しなければならないかしらと私が思うよりも先に、介護タクシーの運ちゃんが目にも止まらぬ速さでうちの玄関にスロープを敷いた(忍者かと思った)。慎重に、でも手早く、父の乗った担架は四、五人ががりであっという間に玄関から居間に運ばれた。そして即座に父は、今日準備された介護ベッドに寝かされた。
今父が着ている病院の服は後日返せば大丈夫とのことだったが、それ以外の計器をここで外して病院に返却しなければならない。
旦那さんがしっかり(絶対足りるであろう量の)精製水を準備してくれていたので、酸素の機械を作動させ付け替える。
病院ではおでこの血管で血中酸素濃度を測ることができる機械を付けていたが、かかりつけ医が持ってきていたのは指の爪を挟んで測るタイプのもの。
父の手は、これ以上ないだろってくらい浮腫んでいる。かわいそう…と思いながら指に機械を付けるも、浮腫みが酷すぎて反応しない。
反対の手に変えたり、指を変えたり色々やって、ようやく機械が反応してくれて一安心。
その他も色々やって、なんだかんだで家に来てからチームの全員が帰るまで、ゆうに1時間半くらいかかった。やっと、一息つくことができた。
夕方の早い時刻に、ものすごく息を切らせて末っ子が帰ってきた。そして、縁側から父の顔を見て、ものすごく安心した顔をした。家族LINEを見て走って帰ってきたに違いなかった。
良かった。本当に、家に連れて帰れて良かった…。
夕方、連絡を受けた親戚が続々とやって来た。
父がまだ喋れたときに「退院したら本家に行きたい」と言っていたのだが、その本家から私の従兄弟二人が駆けつけてくれた。
明るい人達なので、来ると一気に場が華やいで本当に有難かった。
「うるさくてごめんね〜!明日また来るね〜!」と言って帰って行ったが、そのうるささが、本当に本当に本当に本当に有難かった😭
従兄弟たちは、1年半前に父(私の伯父、父の兄)を亡くしている。
これは後で知ったのだが、従兄弟の1人が、うちに来た帰りに「父さんも生きているうちに家に帰してあげたかった」と言って、泣いたそうだ。
伯父は年末にコロナで入院し、コロナ禍真っ只中の正月明けに、直接の面会すら叶わず、家族の誰にも看取られず病院で亡くなった。
遺族はどんなにか悔しかっただろう。
その気持ちを考えると、私にはなんにも言えない。
伯父の出棺後に、孫たちと子供たちが泣き崩れていた光景を、今でもはっきりと覚えている。
どんなに辛くても、我々は常にその場の最善を選ぶ他ないのだろう。後悔することがあったとしても…そう思う。
⑥に、続く……!!!!!!!


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