現実というものの残酷さ〜素人による介護記録⑦〜

家族の闘病

父が退院した日の夕方、私は真ん中にLINEを送った。

「おじいちゃん落ち着いています。意識もあり! 週末帰れる? 生きてる状態で会えるかもしれない」

今見ると、なんとド直球のLINEだろう。配慮も何もあったもんじゃない😂 でもその時は必死だったんだと思う(だから許して)。

真ん中は仕事が終わってそのLINEを確認後、すぐに行動したようだ。数時間後に、土曜日の早朝にこちらに着くよう、夜行バスの予約をした旨、送られてきた。帰りの新幹線も予約したとの事だったが…帰りは、どうなるか分からない。キャンセルしなければならない事態も有り得る、ということを伝えて、でもじいちゃん喜ぶわ、ありがとう、と感謝した。

この日の夜、家ではじめて父のオムツ替えをした(前回の記事で述べた通り私の出る幕はほぼ無かったのだが)。

病院ではオムツ替えでめちゃくちゃ酸素が下がったという話を聞いていたので、やる前から緊張した。母と妹も同じだったと思う。

まず新しいオムツを広げ、汚れたオムツを片付ける用の広げた新聞紙を用意。妹は使い捨て手袋を装着する。母がドレッシングボトルにぬるま湯を入れてきてくれた。

病衣のズボンを下げ、オムツの中を確認。

父は元々入れていた高栄養の点滴が膵炎で使えなくなり、栄養なんてほぼない500mlくらいの点滴(確か抗生剤だった)を、1日かけてゆーっくり投与されていた。他に摂取しているものは一切ない。

生物というものは、栄養がないと水分の代謝もできないらしく、父は身体中に代謝できない水分が溜まり、浮腫んでいた。

そんなだから、おしっこは全くしていなかった。が、おチンに装着していた尿とりパットには茶色のカスがついていた。

経験豊富な妹が珍しく首を傾げていた。「なんだろうコレ…う〇ちみたいだけど、そんなわけないよなぁ…」

おしりの方は、緑色の便が出ていた。ミルク飲む前の新生児の便の色と一緒だなぁ、と、赤ちゃんのオムツなら替えたことがある私は思った。

妹はその便を見て、「宿便が出てきてる。やっぱり、近いね」とぽつりと言った。父の死期のことだろう。

父は、この日とても元気だった。動けないし喋れないものの、表情があり、話しかければこっちを見たし、従兄弟が来たときも頷いたり、涙を浮かべたりしていた。

とても近日中に亡くなるようには見えなかったが、やはり訪看の妹には今までの経験で分かるのだろう。

複雑だった。

父に亡くなってほしいわけはない(当たり前だ)。だが、この介護生活は今、ほんのちょっとだけの期間のことなのだと思うと正直ほっとしたのも事実だ。吸痰できる自信もないし何とか妹がいる間に全てが済んでくれれば助かる、なんて考えもした。

妹は父に優しく声掛けをして、我々とも話しながらおしり拭きで綺麗に拭いて、ドレッシングボトルでぬるま湯をかけ、綺麗なウエスで水分を取る。汚れたオムツを丸めて取り去るのとほぼ同時に、すぐ脇に準備してあった新しいオムツ+オムツパッドを敷く。カサカサにならないよう、あのドラッグストアで教えてくれた泡で出てくるワセリンを仕上げに塗った。鮮やかと言う他ない手早さだった。

基本的にはこれで作業は終わりで、あとはオムツを閉じてズボンを穿いて、どうしてもオムツを替えると身体が足側に下がるので頭側に戻してあげて、布団を整えおしまい、なのだが、妹はまだオムツを閉じずに父のおチンを指でつまんで、何とかきれいにしようと、おしり拭きでそっと擦っていた。というのも、そこには全体的に何かこびり付いて、カピカピになっているのだ。

父は顔をしかめている。痛いのだろう。カピカピはかさぶたと一体になったりしているのかもしれない。妹も分かっていて「あ〜父さん痛いね、ごめんね〜」と言いつつも、何とかしようと更に擦っていく。

父はかなりの綺麗好きだ。巷に溢れる「お父さん、くさーい」という状況を、私たち姉妹は経験したことがない(父に比べればズボラな娘たちの方がよっぽど臭かったかもしれない)。そんなだから、本当はきれいにしておきたかっただろうに。

「病院の看護師め、適当なオムツ替えしやがって。でもわかるよ…私も病棟の看護師してた時は、忙しさを言い訳に、ちゃちゃっと済ませたりしたな、反省。まぁそんな一人一人に向き合えない看護が嫌だったから今の仕事してるわけなんだけど」

そうぼやきながら、妹は一生懸命汚れを取った。気をつけながらなので結構苦労していたが、何とかきれいにすることができた。

「お父さん、きれいになった。良かったね〜」私は声をかけた(それくらいしか出る幕がない)。

それから我々3人は協力して父の身の回りを整えた。酸素は…正常。(全然下がらなかった、病院でどんな乱暴なオムツ替えしたんだよ、と妹は怒っていた。家だし我々だから安心してるんでしょ、となだめておいた)

私は父の顔を見た。その顔には、「こんなはずじゃなかった」と書いてあるように見えた。

妻と、娘二人に、付きっきりで介護されている、自分。

3ヶ月前まで、この家の庭で作業していた。畑で野菜も作っていた。

自分はもう結構体力が落ちてきているから、この先管理しやすいよう、背の高い木は上の方を切った。退院したら、また庭の整理をしなければ。いずれ残される我々家族のために。…そう考えていると、話していたのに。

そうだね。こんなはずじゃなかったよね。この家に、ガンを治して、元気に自分の足で歩いて帰ってきて、従兄弟たちにも、自分で本家に出向いて、挨拶したかったよね。父さんの楽しみにしていた退院は、そういうものだったよね。

現実とはなんと残酷なのだろう。

どんなに願っても、もう叶わない。

話すことも、歩くことも、食べることも…生きることも。

父は退院の2日前、何かを察したのか、母に必死で何かを伝えようと、声を振り絞っていたそうだ。

でも、どうしても、何回聞き直しても、何を言いたいのか聞き取れない。筆談ならどうかと紙とペンを渡したが、手も思うように動かないためミミズの這ったような字で、こちらもさっぱりだった。

次の日から、父は全く声が出せなくなった。

父の言いたかったことは何だったんだろう。

母からその話を聞いた妹は、「最後にありがとうって言いたかったんだよ、きっと」と言ったが、それを聞いた母の表情は「違う」ということを物語っている。実際に言われた母は、父の表情や声のニュアンス等からそう思うのだろう。だからおそらく、母の考えが正しいのだろうと私は思った。

夜中の介護で私の出番が無さそうだったので、切り替えて夜はありがたく休ませていただくことにする。妹は子供たちと寝て夜中に1回父の様子を見に来ると言い、母は父の隣で寝ると言った。役たたずの私が無駄に動いて疲れるより、元気でいて2人のサポートに回れた方がいい、と考えた。

寝る前にふと思い出す。

私、父にHomeを聞かせるって決めたな…。

夜なのでそっとエレガットのチューニングをし、弾いてみる。ここのところバタバタしていてあまり弾けていないので、下手くそ極まりなかった。

どこまで役たたずなの私は…😅

「こんな下手なギター聞かせられるか」という気持ちと、「もう遅いから寝た方がいい」という常識的判断とが五分五分で作用し、私はそのまま就寝した。

⑧へ、続く……!!!!!!!!(長すぎるね本当に)

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